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日経「星新一賞」の想い出(その3)

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日経「星新一賞」の想い出(その2)からの続きです。

《応募要項》
 私が最後に出席した実行委員会は、2013年4月16日と17日の2日間にわたる過密なものだった。この時点でまだ主催者が日経さんに本当に決まるのかどうか、わからないという状態だった。だが私たちは7月までには賞を起ち上げたいと思っており、この時期に細かなことを決定しなければもう間に合わない状態だったのだ。というのも星新一賞にはジュニア部門が設定されるため、できれば子供たちに、夏休み期間中に原稿を書いてほしい。高専ロボコンのように学校単位で応募してもらうという構想もあったから、実行委員会内で決めるべきことは決めておかなければならなかった。
 星新一賞のロゴデザインなどといった細かなことも検討されたが、私が特に重要だと感じていたのは応募要項だった。文字数が1万字に決まった経緯は以前に書いたが、このミーティングで私が折れて1万字になった(私はせめて1万5千字と主張していた)。
 次に「課題」である。文芸新人賞の応募要項には、必ずどのような作品を募集しているかが簡潔に書かれている。その概略は「公募ガイド」などにも載る。これをどうするか。日経「星新一賞」の公式ウェブページをご覧いただきたい。「あなたの理系的発想力を存分に発揮して読む人の心を刺激する物語を書いてください。」これが課題だ。この議論が長時間にわたった。鏡明さんや星マリナ氏からいろいろと案が出た。ただしここで星マリナ氏は、やはり星新一作品の亜流をほしがる発言をして、たとえば「笑える作品」という文言を入れようなどと、本質とずれた提案をしていた。そんなものは「課題」ではない。私は取り合わず、もうひとりの理系である田丸雅智さんの意見を求めた。星新一賞は発想力と洞察力を重視する〝理系文学〟の賞なのだから、理系出身者が課題を決めた方がよいと考えたのだ。
 そして田丸さんが、じっくりと考えながらホワイトボードに書きつけたのが、上述の文章だった。
「存分に発揮して」という部分は必要なのか? という質問が出た。私は「いや、理系出身者はいままで文芸業界で抑圧されてきたw。この星新一賞だけでもいい、〝存分に〟力を発揮してもらおう。あなたたちの秘めたパワーはこの賞で受け止めてやる、そのくらいの訴えかけをしよう!」といった。文系出身の鏡さんは大受けして、課題はこれで決まった。だから〝存分に発揮して〟という文言には、私たちのそんな思いが込められている。
 もうひとつ重要なのは「応募規定」だった。二重投稿はご遠慮下さい、プロアマ問わず、などは他の文学賞と同様だが、日経さんの出してきた規定案にはいろいろと不明瞭な点があった。
 たとえば二次的著作権である。私が日本ホラー小説大賞を受賞したとき、「二次的著作権は主催者側に帰属する」という文言があったため、映画化やゲーム化にまつわる諸権利はいっさいもらえず、私のもとには賞金と本の印税しか入らなかった。そうした問題が1990年代からあちこちで出るようになり、ときに裁判沙汰になることもあって、日本推理作家協会は指針を発表したこともある。各社の皆さま、二次的著作権については「範囲」と「期間」を明示して下さい、というものだ。そうしないと未来永劫、二次的著作権は主催者側のものになってしまうからである。私はその指針のコピーを推協事務局から送っていただき、電通さんに示して、これが常識なのだからぜひ踏襲して下さいとお願いした。
 後の話になるが、7月7日に日経「星新一賞」の公募が発表され、公式ウェブページができたとき、「応募に当たっての注意事項」欄の文言が、かなり応募者側にとって不利なものであったことに気づかれた方はいらっしゃるだろうか? あれだけ注意を喚起したにもかかわらず直っていないことに私は怒って、電通さんに連絡した。いまのは仮のもので、少しずつ直してゆく、という答だったが、納得はできなかった。しかし現在のものをご覧いただきたい。「その他の権利」の部分だ。契約の「範囲」と「期限」が明示されている。ちゃんと変更がなされたのだ。「二次利用に際しては、当該二次利用によって日本経済新聞社が受領した金銭のうちから、受賞作の著作者に対して二次的利用料が支払われます。」という文言も、当初はなかったと思う。少しは応募者側にとって安心できる内容に変わったのである。「アイデアの実現化」についてもマイルドなかたちになったのではないだろうか。
 この2日間のミーティングで、私と星マリナ氏は日経の副社長やIHIの広報担当者らとも顔合わせをした。電通さんにお願いしてセッティングしていただいたのである。ただ、今後の具体的な話をするのだと私は思っていたが、どちらも当たり障りのない雑談に終始して、私は少し残念だった。
 怒濤の2日間は終わり、あとは日経さんが正式に主催者を引き受けるのを待ちつつ、最終調整を進めるのみとなった。電通さんは忙しかったはずだが、もと日本SF作家クラブ会長としての私の役目は終わろうとしていた。ひとつ大いに落胆したのは、この段階に来ても、電通さんや星マリナ氏が受賞者のキャリアパスや受賞後のケアについて、何もアイデアを持っていないことだった。


《実行委員会と選考委員の辞退》
 私が星マリナ氏と初めて会ったのは、2010年6月26日、世田谷文学館「星新一展」での記念講演会、「星新一を読むということ-<科学>と<文化>をめぐる旅」終了後に、控えの応接室で挨拶を交わしたときである。このときは新井素子会長や井上雅彦事務局長もいっしょで、日下三蔵さんなどもいた。
 この控え室で、星マリナさんは「瀬名さんに星新一賞の選考委員をやってほしい」と笑顔で話しかけてきた。井上さんたちが「まだその話は内密ですよ」と慌てて止めようとしたことを憶えている。このとき日本SF作家クラブ「新人賞検討委員会」で、すでにSF新人短編賞としての「星新一賞」が練られていたわけである。そのときはYESともNOとも返事をしなかったが、後になって、ああ、あのときの発言は、ここへ繫がっていたのかと懐かしく思い出すようになった。
 星マリナ氏は、ずっと私を選考委員に、という気持ちを持ち続けていた。私もそのことは知っていたから星新一賞の設立には協力し続けた。実際に賞が具体化し、理系出身の選考委員で固めるとなったときも、星マリナ氏は作家兼理系出身の代表としてまず私を推した。私は星マリナ氏の気持ちがわかっていたので快く承諾し、協力を続けた。

 しかし星マリナ氏はやはり、〝星新一のような作品〟がほしかったのだと思う。「きまぐれ人工知能プロジェクト 作家ですのよ」を起ち上げるとき、私や松原仁教授は「星新一のように面白いショートショートを人工知能につくらせるのが目標」と語ったが、ここでの「のように」は決して「星新一」にかかるのではなく、「〜のように面白い」という部分を強調している。だが星マリナ氏にそのことを説明してもよくわからなかったようだ。日経「星新一賞」の公式ウェブページにある星マリナ氏の挨拶文を見ても、実父である星新一を親鳥に喩え、そうした親鳥のような人を探したいといっている。当初に話し合ったはずの〝理系文学〟の精神は、ずっと鏡明さんと私が強く主張していたが、星マリナ氏の思いは少しずつずれていったように思える。

 そのことを象徴する一件があった。あるとき、最終選考委員が理系出身者ばかりになると、難しい話ばかりが受賞してしまうのではないかと心配したのだろう、星マリナ氏は、自分のような文系が読んでもわかるかどうか、チェックしたいといい出した。つまり選考内容の検閲であり、選考者の仕事に遺族が介入する越権行為だ。作家の名前が冠についた賞はいくらでもあるが、遺族が選考内容にまで口出しするとは私物化しすぎだ。さすがに私も怒って、そんなことをいうなら自分も選考委員に入って意見を述べよといった。星マリナ氏は、そこまではやりたくないという。私は怒りを抑えながら、「では星マリナさんの意見を代弁してくれるような文系出身者をひとり司会進行役に立てよう。鏡明さんにその役目をやっていただくなら星マリナさんも納得するだろう」と提案した。実際、そのようになったはずだ。

 やがて日経さんが正式に主催者になることが決まり、ようやく星新一賞は発進段階に入った。だがここで日経さんがいくつかの要請を出してきた。ひとつは、賞の正式名称を「日経「星新一賞」」にせよというものだった。これには電通さんもさすがにがっかりしたらしい。私も嫌だった。かっこわるいし、「日経」と名がつくと他の新聞社に取り上げてもらえなくなる可能性さえある。もうひとつは日経サイドからひとり選考委員を入れるというものだった。論説委員の滝順一さんに決まった。滝さんは「日経サイエンス」誌にコラムも持っている科学ジャーナリストであり、サイエンスコミュニケーションにも一家言ある人だ。ところが日経の内規によれば、自社の人間がウェブページなどで表に出るのは控えることになっているという。だから日経「星新一賞」の公式ウェブページにも、他の選考委員のコメントは載るのに、滝氏のコメントや写真は載せられないという。そんな馬鹿な話があるかと私は怒った。応募者は選考委員の顔を見て応募するのだ、この人に読んでもらいたいと願うから応募先を決めるのだ、それなのにコメントも載せられないとはどういうことかと。
 結果的に、受賞作が決まった後、各選考委員はごく短い選評コメントを出し、その中には滝氏のコメントも含まれていた。少しは事態もよい方向へ変化したのかもしれない。

 だが私は先にも書いたように疲弊しており、6月にはうつ病と診断された。それを受けて、私は星新一賞実行委員と選考委員の辞退を申し出た。電通メンバーのなかにはうつ病に理解を示して下さる方もおり、私は星新一賞実行委員を外れることができた。代わりに鏡明さんと小松左京事務所の乙部順子さんが実行委員会に入った。後に日経さんからもふたり、実行委員会に入ったと聞くが、どのような方々なのか私はまったく知らない。そもそも私が実行委員会にいたとき、副社長さん以外の日経の人とはいっさいお目にかかる機会がなかったのだ。
 しかし選考委員は強く留意された。瀬名以外の理系出身作家の適任者を鏡明さんといっしょにいろいろ検討したが、どうしても見つからないという。星マリナ氏の気持ちもわかっていたから、そこだけは承諾し、そして2013年7月7日の告知日を迎えた。いろいろあったが、よい賞になることを期待していた。
 私は相変わらず原稿が書けずにいた。実のところ、病気の原因のひとつは、星マリナ氏の「きまぐれ」に対応しようとするあまり精神的な負担があったからだと感じていた。あるとき、話の流れで、ついにそのことを星マリナ氏宛のメールに書いた。星マリナ氏も、自分が瀬名を追い込んだのだと思っている、申し訳ない気持ちだ、といった返信をよこした。
 だが私はその後も『星新一すこしふしぎ傑作選』(集英社みらい文庫)の編纂でさらに疲弊したため、ビジネスパートナーとしての星マリナ氏は信頼できなくなった。二度と私に直接連絡しないでくれと申し渡し、星新一賞実行委員会の電通メンバーにもそのことを伝え、星マリナ氏には行き過ぎた行動を控えるよう伝えてくれとお願いした。
 しかし2013年11月末になって、『星新一すこしふしぎ傑作選』の件で星マリナ氏はまた私に直接メールをよこしてきた。そこには「私からメールがくるとうつ病が悪くなると言われていたので連絡を控えていましたが、私が連絡しなくてもうつ病はよくなっていないようなので、メールしないでいることにあんまり意味がないのではないかと思い書いています。」と書かれていた。私はさすがに怒りを抑えきれず、星新一賞実行委員会の電通メンバー3名にメールし、今度また星マリナ氏から直接メールが来たら選考委員を降りると宣言した。
 だが翌日、また星マリナ氏からメールが来た。これでアウトだと私は思った。選考委員を降りることを、私は星新一賞実行委員会に宣言した。


 一晩経ったけれど、なんだかこれが書き終わらないと、別の原稿が書けない感じ。
 あともう1回分書いて、想い出話は終わりにしましょう。希望を持った終わらせ方にしたいな。

日経「星新一賞」の想い出(その4・おしまい)

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日経「星新一賞」の想い出(その3)からの続きです。

《広報活動》
 日経「星新一賞」の告知が出た後から現在まで、私はいくつか一般向けの講演会をおこなった。本当は病気もあったので人前に出るのは極力避けていたのだが、講演の仕事は1年前から決まることも多く、さすがに直前になって辞退はできなかったから、なんとか気力を保って講演会に臨んだ。
 地元の高校生や、高校の先生方、図書館の司書さん、博士号を目指す大学院生たちなど、聴衆はSFファンというより一般の人たちだ。私はそうした場で必ず日経「星新一賞」の話をして、どうか興味を持った方は応募して下さいとアピールした。はっきりいって、星新一賞関係者のなかで、もっとも星新一賞について語り、アピールを続けたのは私だと思う。私は講演の場で〝理系文学〟とはどんなものなのかといった話も必ずした。同行したあるベテラン文芸編集者が、「瀬名さんの講演を聴いて、初めて星新一賞の内容がわかった」といってくれた。そのくらい星新一賞の真意は文芸業界の人たちに伝わっていなかった。
 日経「星新一賞」の告知後、私は知り合いの編集者に会う度、星新一賞の話をして、どう思うかと訊いてみた。多くの編集者は星新一賞のことを知らなかった。ああ、聞いたことはある、という人もいたが、どんな性格の賞なのかを知る人はまずいなかった。つまり星新一賞は、文芸業界の人たちにとって、何の関心も持たれない、脅威とは思われない存在なのだった。一種の懸賞小説、つまり真剣な文学新人賞ではなく、新聞社がよく夏休みにやるような、一過性のイベントに過ぎないのだと思っている様子だった。私はそれが悔しくてならなかった。

 実際、日経「星新一賞」に関する記事を、皆さんは日経新聞以外でどのくらい見たことがあるだろうか。「人工知能でもOK」という部分に関心を持って下さったIT系メディアはいくつかあり、そこは私たちの目論見通りだったが、それ以外の部分はどうだろう? ふつうは新人賞が創設されたら、さまざまな新聞社が文化欄・文芸欄で取り上げる。だがそうした他社記事はどのくらい出ただろうか? 
 日経さんの内部でも、この賞の件は混乱していたと思う。そもそも7月7日の告知が広告であったように、星新一賞にまつわる記事は広告扱いとなったのではないだろうか。ふつうなら日経新聞そのものがたとえば選考委員に事前インタビューし、「こんな応募作を待っています」といった期待のコメントを文化欄などに載せて関心を煽るものだ。そんな記事はひとつも出なかったと思う。実際、日経の文化部の人たちも、星新一賞についてはよく知らない様子だった。「文芸編集者がひとりも関係していないんですよね……」と困惑した顔で私に呟いた文化部記者もいる。

 受賞作が決まった後の告知経緯を振り返ってみよう。日経さんは2014年3月12日に受賞結果を報告した。これはウェブの場合、日経IDがないと全文が読めない。
 当日、日経さんは報道各位に向けてプレスリリースも出している。「日経「星新一賞」グランプリが決定」だ。しかし私がざっとウェブ検索した限り、このリリースを受けて報道した主要紙は毎日新聞しかない。讀賣新聞や朝日新聞に報道はなかったと思う(間違っていたらごめんなさい)。3月15日には授賞式もあり、ふつうなら日経が自社の新聞や雑誌にその模様を大々的に載せてよいはずだが、16日の新聞には何の記事も載っていなかったように思う。

 そうした問題点の受け皿となったのが、電通だったのではないだろうか。日経サイドではかえって迅速に記事が出せないので、電通報でまず詳細を報告したのかもしれない。実際、ほどなくして電通報に記事が出てくる。電通報2014年3月17日付「第1回日経「星新一賞」表彰式」。電通報に出したということは、ここへ来て、いままで黒子に徹してきた電通さんが、自分たちも関係していますよと告白したに等しい。それはきちんと応募者3000人の皆さんへ告知するための誠意だったのではないだろうか。

 続いてやはり電通報に記事が載った。2014年3月18日付「対談 星新一さんと「理系文学」の世界 新井素子氏 × 鏡 明氏」。ここで新井さんと鏡さんの意見の違いをよく見ていただきたい。鏡さんのおっしゃっていることは、私たちが当初に目指した〝理系文学〟の姿である。私の後任として新井素子さんが選ばれたのは、やはりSF関係者たちに納得してもらうための人選だったと後でうかがった。鏡明さんと乙部順子さんが新井さんのご自宅を訪れてお願いしたという。

 そして3月24日に、電子書籍『日経「星新一賞」 第一回受賞作品集』(無料、ただし日経IDの取得が必要)が日経ストアにアップされる。奥付は3月26日だったので、この26日に告知を考えていたのだと思う。実際、26日に日経「星新一賞」の公式ウェブページは更新され、ようやく選考委員のひとりである論説委員・滝順一さんの記事が出た。「星新一賞グランプリ2作品 機械進歩した未来描く」で、これは全文が無料で読める。新聞のほうにどんなかたちで掲載されたのかは調べていないのでわからない。
 しかし、ふつうなら受賞者へのインタビュー記事などが文化欄に載ってよいはずだ。そうした動きはまだ見られない。

 予想通り、「日経」と名に冠した日経「星新一賞」は、一種の懸賞小説と見なされ、既存の文芸業界からは軽んじられて、他の新聞社からもほとんど無視される結果となった。
 本当に必要な告知は、文芸業界や科学業界に向けて、私たちはこんなに斬新なことをやりますよ、応援して下さい、ということだったのではないだろうか。星マリナ氏の知人や友人を授賞式に招くことが重要なのではない、他社さんの編集者や映像関係者らを招き、受賞者・入選者たちをきちんとお披露目して、彼らに次の仕事のチャンスを与えることだったのではないだろうか。今後、星新一賞実行委員会には、辣腕の文芸編集者に加えて、サイエンスコミュニケーションの専門家も入れた方がよいと私は思う。星新一賞はサイエンスコミュニケーションのよいモデルともなり得るはずだった。だが私の見た限りでは結果は惨敗である。応募作は3000以上集まって、なんとか主催者や協賛企業の面目は保てたかもしれない。だが本当に告知対策は充分だっただろうか? 本当に応募してほしい人たちに告知は届いていただろうか? そしてあえて問いたい、選考に関わって下さったSF関係者の方々も、どこか無意識のうちに狭いSFコミュニティにとらわれて、〝理系文学〟の可能性を狭めてはいなかっただろうか?

 特別協賛企業のIHIさんが「空想ラボラトリー」というウェブページを起ち上げている。星新一さんをはじめ、初期のSF作家たちは、企業のPR誌にショートショートを書いて腕を競い合った。それが収入の源のひとつでもあった。だから協賛企業さんたちが積極的にショートショート作品を掲載して下さる動きはありがたいと思う。実際、受賞者・入選者の今後の活躍の場として、こうした企業PR誌がまず考えられる。
 だがここに掲載されているメンバーを見ていただきたい。プロ作家らに並んで、星マリナ氏の作品が載っている。江坂遊さんの『小さな物語のつくり方2』(樹立社)では一般からのショートショート公募作品が掲載されており、そこには星マリナ氏の作品もあって、江坂さんは好意的な講評をしている。まあそれは構わない。だが、こうした星新一賞関係の場に遺族が出てくるのはどうなのだろうか。遺族であってもいいだろう、だが申し訳ないが、作品の質はどうだろうか。星新一賞で下読み選考の人選や取りまとめを一括して引き受けたと思われる評論家の牧眞司さんは、こうした星マリナ氏の行動も好意的に評価しているようだ。だが本当にそれは冷静な評価だろうか。


《〝理系文学〟の未来》
 今回の星新一賞では、予備選考から最終審査に至るまで、画期的な試みがいくつかおこなわれたはずだ。
 私はもう実行委員を辞めた段階だったので詳しくは知らないが、応募作は(一部のジュニア部門応募作を除いて)すべて電子媒体で送られてきたのだから、予備選考委員の人たちはiPadのようなもので読むことができただろう。応募作の原稿をコピーし、予備選考委員に配るという手間は大きく省略できたはずだ。
 星マリナ氏は「星新一作品からの盗作でないかチェックできる人工知能を開発してほしい」と、当初から公立はこだて未来大学の松原仁教授らにお願いしていた。ただしそうしたチェックプログラムはすでに類似のものがある。STAP細胞騒ぎでも知られたように、論文のコピペを見つけるプログラムはいくつかあり、学会はそうしたものをすでに使っているのだ。そのことを知ると星マリナ氏は興味を失ったようだったが、実際に星新一の全作品をコンピュータに入れ、文章レベルだけでなく文脈やアイデアレベルまで盗作チェックできるような人工知能が創れたら面白いし、論文にもなる。松原教授はそうした研究ならやってみてもいい、といっていた。しかし下読みを統括したと思われる牧氏は「自分は何度も星作品を読んでいる。だから星新一ファンが3次選考あたりでチェックできる体制があれば盗作は防げる」と主張したそうで、結局人工知能の件は流れた。いまは人間の方が安上がりだということだろう。だがこうした派生的研究も、星新一賞の成果となり得るものだ。
 最終選考は完全なチューリングテストでおこなう、と鏡明さんが提案し、おそらくそれは実行されたのだと思う(本当はどうか知らないがそう信じる)。というのも、そもそも星新一賞は人間以外からの応募も受けつける斬新な規定だった。人工知能が書いたのか、本当に人間が書いたのか、予備選考委員や最終選考委員が予断を持って読んでしまうと、元も子もなくなってしまう。だから誰が書いたのかは伏せて選考するのが妥当なのである。また私自身の考えとして、自分の知り合いの研究者や、仕事・金銭関係のある知人が応募してくることが充分に考えられた。そうしたとき、私がそれらの人たちの作品を選考してしまうと、癒着があるのではないか、などと勘ぐられる可能性がある。理系の感覚では、自分に関わりのある論文の審査では席を外すのが倫理に適った行動だ。だから知り合いの人の応募が来たときはそこだけ審査に関わらない、と私は事前に明言していた。おそらくその発言を受けて鏡さんは、少なくとも最終選考を完全チューリングテストにすると決めたのだと思う。
 聞くところによれば予備選考の段階でもチューリングテスト状態で応募者の氏名は伏せられていたらしい。だが一方で、どんな職業の人が多く応募してきたのかを知っている予備選考者もいたと耳にしており、実際のところはよく知らない。ただ受賞者が決まった段階で、さすがに氏名などは最終審査員に知らされたはずだと思う。それを踏まえてなおも実行委員会が遠藤慎一さんの素性を知らなかったというのはちょっと信じがたい。もし本当にそうなら、サイエンスコミュニケーションに関わっている日経の滝順一さんなどは恥ずかしいことだと思うからだ。
 ただ、すべてをチューリングテストでおこなうといっても、一次選考や二次選考、三次選考などの逐次結果は、少なくとも公式ウェブページで迅速に報告するべきではないだろうか。それが応募者に対する誠意ではないだろうか。氏名や年齢を出すとチューリングテストの意味がなくなってしまうのなら、たとえばエントリーナンバーとタイトルだけを記載するという手もあるだろう。とにかく選考経過を透明化すること、結果を迅速に、正確に公開すること、これはサイエンスコミュニケーションの基本中の基本でもある。ここは部外者ながらあえていうが、次回から改善してほしいところだ。
 いずれにせよ星新一賞はたんに〝理系文学〟を選ぶだけではない。その選考過程自体が〝理系〟の最先端なのであり、賞そのものが科学と文芸の未来を拓くのだ。そうした可能性を、予備選考委員の方々には知っていていただきたかった。

 日経さんにも心からのお願いがある。日経グループには、たとえ別会社とはいえ、日経BPや日経サイエンスなど、日経「星新一賞」の受賞者・入選者が活躍する場がたくさんある。どうかそういった場で彼らの活動を支えてほしい。日経文芸文庫の編集者も担当につけてあげてほしい。そしてできることなら他の出版社へも積極的に紹介してあげてほしいのだ。電通さんにもできることはあるはずだ。広告の場で受賞者・入選者の発想力を披露してもらう。科学番組で彼らの活躍の場を与えてみる。今度は主催者側の発想力が試されるのだ。どうか互いの発想力が刺激し合うことで、日本の科学シーンと文芸シーンを変えていってほしい。
 私が『パラサイト・イヴ』を書いてから、もう20年近くが経とうとしている。あのころに比べると〝理系文学〟を目指す人々に対する世間の理解は格段に向上し、活躍の場も増えた。私はそれを嬉しく思う。

 第1回日経「星新一賞」の最終選考の場では、星新一賞のあり方や、今後の方向性などについて、かなりの議論がおこなわれたらしい。つまり〝理系文学〟とは何か、私たちはどのような作品を選ぶべきなのか、ということが選考委員全員に問われたのであり、彼らはその答を見つけ出そうとしたのだ。そうした雰囲気は鏡明さんの書かれた「日経「星新一賞」の審査について」を読んでわかる。
 星新一賞が本当に求めているのは、星新一の亜流ショートショートなのか、それとも未来を切り拓く新しい〝理系文学〟なのか。
 鏡さんはこう書いている。「その中で繰り返し語られていたのは、アイディアや思考の独自性、ユニークさでした。おそらくそれこそが科学の本質ではないかという印象がありました。」これが最終審査会の結論だったのだろうと私は思う。星新一の亜流ではなく、新しい文学をこれからは選ぶと、最終審査員の皆さんは決めたのではないか。
 だから日経「星新一賞」が本領を発揮するのは、これからなのだと思う。私はもうこの賞に関わることはないだろう。ただの一読者として、受賞作や入選作を楽しみたい。知人が入賞したらおめでとうといおう。
 私は体調を崩して星新一賞実行委員会を去り、また自分の都合により最終選考委員も降りることになってしまった。私に審査されることを期待して応募して下さった方がもしいたとしたら、そうした皆さまに、いまここで心からお詫び申し上げる。本当に申し訳ありませんでした。しかし私はできる限りのことをやったと思っているし、ある程度の新しいことはできた、未来を創ることはできたと信じている。さまざまなことはあったが、私は個々の人たちに恨みや悪い気持ちは持っていない。仕事としてできる部分とできない部分があり、信頼できることとそうでないことがあったということだ。
 日経「星新一賞」が未来を想像し、未来を創ることを願ってやまない。この願いは星新一さんの友人であった小松左京さんの精神であり、SFWJ50(日本SF作家クラブ50周年記念プロジェクト)のテーマでもあった。授賞式の場で、日本経済新聞社の佐藤雅徳副社長はこの言葉を用いて下さったようだ。「想像」から「創造」へ。佐藤副社長はたぶんこれがSFWJ50のテーマであったことはご存じなかったであろう。だがそれでもよいのだ。ダウンロードできる電子書籍『日経「星新一賞」 第一回受賞作品集』の「ごあいさつ」には、「サイエンス・イマジネーション」という言葉も出てくる。私がかつて編纂した書籍のタイトルだ。これも偶然だろう。だがそれでよいのだ。
 そこに、すべての願いが込められている。

 最後に。
 特に理系の人たち、もっと本気を出せ。そして文系も理系も、本気の発想力と洞察力で、もっと星新一賞実行委員会を掻き乱せ。日本経済新聞社をあっといわせろ。それが未来を創ってゆく。

日経「星新一賞」の想い出(追記)

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一度だけ追記します。
評論家の牧眞司さんからメールを頂戴しました。
日経「星新一賞」の想い出(その4・おしまい)」で、私が書いた盗作チェックの件とIHI「空想ラボラトリー」の件について、私の曖昧な文章や思い違いをただして下さる内容で、とてもありがたいものでした。私の文章が誤解を招きやすいものだったと思います。お詫びします。
牧さんには御礼とお詫びをお伝えしました。また頂戴したメール文面をそのまま私のブログに転載してよいとご了解をいただきましたので、ここに全文を転載します。牧さん、ありがとうございました。


(以下引用)
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ご無沙汰しております。
瀬名さんのブログ拝見いたしました。
日経「星新一賞」の想い出(その1〜4)、貴重な証言・提言であり、ぼく個人とし
ても初めて知ることが多く、また今後、日経「星新一賞」や日本SF作家クラブとの
関わりかたを考えるうえで、たいへん参考になりました。まず、その点についてお礼
を申し上げます。ありがとうございました。

文中、ぼくの名前が何度か出てきます。事実誤認というほどではないのですが、ぼく
自身の受け止め方と違うところがあるので、説明をさせてください。
いずれも、日経「星新一賞」の想い出(その4・おしまい)のなかの箇所です。

(1) 盗作チェックプログラムについて
瀬名さんは、〔しかし下読みを統括したと思われる牧氏は「自分は何度も星作品を読
んでいる。だから星新一ファンが3次選考あたりでチェックできる体制があれば盗作
は防げる」と主張したそうで、結局人工知能の件は流れた。〕とお書きになっていま
す。
この文脈だと、牧は「だからチェックプログラムなど不要だ。開発する必要はない」
と主張したと受け取られかねません。ぼくは星マリナさんが盗作をしきりに気にされ
るので、彼女が安心できるよう「SF(星作品を含めた)を熟知した担当者が複数人
数いれば、盗作はチェックできますよ」と言ったのです。チェックプログラム開発に
ついては、だいぶあとになって未来大学の方からうかがいました(そのときは「まだ
開発は進行中。ただし実用はほど遠い」とのことでした)。ぼく自身としては、盗作
チェックプログラムには興味あります(どういう設計思想なのかロジックなのか)
し、実現したら素晴らしいと思っています。
なお、ぼくが星マリナさんにお話したのは、「星新一ファンがが3次選考あたりで
チェック」ではなく「星作品を含めてSF全般を多く読んでいる者が〜」です。その
後、田丸さんをはじめとする電通のひとたちとお話をするなかで、3次審査にその条
件を備えたひとを揃えるという提案をしたのも、それゆえです。その時点で、具体的
に、鏡明さん、大森望さん、山岸真さん、そしてぼく自身——という名前を挙げまし
た(この4人が3次審査担当に名を連ねる目的はほかに、“理系文学”に対するSF関
係者・SF専業読者のアレルギー的反応の緩和などもありました)。

(2)IHI「空想ラボラトリー」への星マリナ作品掲載について
ぼくは田丸さんからの依頼によって、「空想ラボラトリー」の原稿を読み、アイデア
が類似した先行作品がないかどうかのチェック(盗作というのではなく、たまたま似
てしまったこともあるので)、および簡単な校閲(誤字チェックや表記揺れ程度です
が)をおこなっています。これを依頼された時点で、すでに星マリナさんの執筆は決
まっていました。ぼくは「空想ラボラトリー」のコーディネイターである田丸さん
が、ショートショート作家としての星マリナさんの才能を見込んで、彼のほうからマ
リナさんに原稿依頼したのだと理解していました(これは田丸さんとぼくとのやりと
りのなかで受けた印象です)。なので、星マリナさんが出しゃばった行動をしたとい
う感じは持っていません。
また、瀬名さんは〔だが申し訳ないが、作品の質はどうだろうか。〕とお書きになっ
ています。ということは、星マリナ「かぜの季節」をあまり評価されていないようで
すね。ぼくは面白く読みました。色彩の使いかたや、「かぜ」という言葉を伏線的に
織りこんでおく書き方とか、なによりも文章がアッサリしていて、プロ作品として遜
色がないと思います。ショートショートは書くのが難しく傑作というのは成しにくい
のですが、「かぜの季節」は水準は超えています。もちろん、小説の価値判断は人そ
れぞれなので、瀬名さんが低評価だとしても、それはそれで間違っているということ
ではありませんが(あたりまえですよね)。
ただし、もし瀬名さんが「マキは星マリナ氏におもねって作品評価を甘くしている」
と思っていらっしゃるのなら、それは心外です。ちなみに「空想ラボラトリー」掲載
作品については、原稿を読んだ段階で田丸さんに、類似作チェック・校閲と併せて簡
単な感想を伝えています。その段階で、ぼくはマリナさんの文章を高く評価していま
す。まあ、その時点から「マキはマリナ氏に甘かったのだろう」と勘ぐられてしまえ
ば、もう何も言えなくなってしまうのですが……。

——以上、2点です。長々と申しわけありません。

慌てて書いたもので文章が整っていないかもしれませんが、いっこくも早く瀬名さん
にお伝えしたかったもので。

では!
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(引用終わり)

不評を集める

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ほら、ツイッターなんかだと、たいていの人は自分に賛同してくれる意見とか、自分に都合のいい意見ばかりをリツイートして、あたかも自分が世間に認められているかのように印象操作するじゃない。私はああいうのが大嫌いなので、あえて自分に不利な意見ばかりを今後は集めていこうかなと思った。自分自身、このブログを見るのが辛くて仕方がなくなるような、どんどん編集者や読者が離れていくような、そんなブログにしてみたらどうだろう。それがフェアな精神じゃないか。

(以下引用)


5つ星のうち 1.0 買う価値なし 2014/3/23
By ishiharaeimei
形式:単行本(ソフトカバー)|Amazon.co.jpで購入済み
朝日新聞の口車に乗せられて購入。
出版社とマスコミの癒着をまたしても思い知らされたという
胃の腑にのこる鉛のような後悔。
瀬名センセはパラサイトイブやブレーンバレーのころには
ちゃんと読者のほうを向いて日本語で書いていた。
それを期待して読み始めた私がばかだったのでしょうか。
SF作家協会の会長センセともなると
こんな、そっぽ向いて呟いてるような
独り言小説を書いて嬉しがるようになってしまうんですね。
代金はいらないから、格闘して使った時間を返して。 →引用元


名無しは無慈悲な夜の女王:2012/02/03(金) 23:28:46.05
人の皮を本の装丁にする話も
「倫理は変わる」だけじゃなくて
なぜ倫理が変わって、倫理がどう変わって、社会がどう変わったまで
瀬名氏が熱心に考えれば、読者も納得出来る良い話になったかもだが、
今の段階では「装丁についてよく取材しましたね~」話だ。
パラサイトイブ以来。「よく取材しましたね~」話から一歩も出ていない。 →引用元#56

名無しは無慈悲な夜の女王:2012/03/09(金) 23:30:56.54
俺も瀬名は入れなくてもいいと思う →引用元#125

名無しは無慈悲な夜の女王:2012/06/22(金) 22:58:36.97
「イブ仮説」に便乗したワンアイディアバカSFを書いたのに
ハードSFを書いた気になってしまったところがこの人の不幸の始まり。
自分はバカSFしか書けないと気づいた方が吉。
バカSFは市場も広いし →引用元#158

名無しは無慈悲な夜の女王:2013/04/07(日) 16:08:35.79
単純につまんなかったな。
竹内久美子みたいなトンデモの利己的遺伝子話にうんざりしてたし。
小説の文章わかってなかったし。  →引用元引用元#228

名無しは無慈悲な夜の女王:2013/12/10(火) 06:27:14.12
てか瀬名ってトラブルメーカーで有名じゃん
お前らウブだな →h引用元#292

名無しは無慈悲な夜の女王:2013/12/19(木) 15:41:48.55
>>293
ブログの文章がちょっと境界っぽいよね
てか各所ともめ過ぎ
で、必ずうまく被害者ぶった文章なんだよね
なんか変  →引用元#296

名無しは無慈悲な夜の女王:2014/01/03(金) 14:45:00.07
瀬名そのわりにはブログでSF作家クラブの会長にRTされたとか愚痴
あのさあ、その粘着やめたらいいんじゃないかなっ →引用元#316

名無しは無慈悲な夜の女王:2014/01/07(火) 06:01:14.25
>>320
うん、真面目なんだろうけどネチネチし過ぎて少し怖いw
(中略)瀬名は事実のような詐術を使ってるんだよな →引用元#324

名無しは無慈悲な夜の女王:2014/01/07(火) 06:13:25.05
Sが金とか酷くて企画提案しちゃ人をただ働きさせて気に入らなくなったらキッテ
作家倶楽部内にウツ病だしたって編集周りの噂既出?
真実ならドン引きなんだが →引用元#325

名無しは無慈悲な夜の女王:2014/02/03(月) 04:50:24.81
だがセナの人望の無さは異常だよな
なんかあるのかな →引用元#435

名無しは無慈悲な夜の女王:2014/03/19(水) 12:37:31.10
瀬名さんは星新一賞を理系文学の賞と位置付けているけど、
星新一の名前は使うけど「星新一っぽい作品」を星ライブラリが求めるのは
ダメというのは、瀬名さん側もわがままでは?
そもそも星ライブラリは星新一の著作権管理、イメージの保全向上を目的にしてるんでしょ?
その辺をすり合わせないで、自分の考えを理解しないのは
先方の「わがまま」「お友達感覚」と決めつけるのはねえ…
引用元#517

名無しは無慈悲な夜の女王:2014/03/19(水) 18:25:53.80
>>517
おかしいよね瀬名さんが明らかに →引用元#521

名無しは無慈悲な夜の女王:2014/03/23(日) 05:05:25.23
瀬名は自分の理想の賞とか団体を自分で設立すればいいんじゃないかと思った
多分、どこにいってもあれがヤダこれがヤダってなって勝手に失望して物別れに終わる人だよ →引用元#534

名無しは無慈悲な夜の女王:2014/03/28(金) 03:18:41.25
「俺は悪くない周りがせっかくの理想をめちゃくちゃにした、こんなことではSFは滅びますぞ!」の繰返しで
結局は他人を悪く行って自己正当化してるだけだし、多分どこに行っても上手くいかない人なんじゃないの
そもそも、人間の集まりに矛盾ゼロとかあり得ないし →引用元#549

名無しは無慈悲な夜の女王:2014/03/28(金) 06:34:41.79
小松左京はえらかったなあ
それを目指したんだろうけど
度量が足りないというか、頑なというか… →引用元#550

名無しは無慈悲な夜の女王:2014/03/28(金) 12:33:46.22
小松左京より石原藤夫みたいな瀬名 →引用元#553

不評を集める2

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引き続き、ざっと不評を集めてみました。探せばまだたくさんあるよね。さあ、どんどん瀬名秀明を嫌いになっていこう! 今日はこのくらいで。

(以下引用)


この北川所長は、「きみはドストエフスキーを読んだか、ブレイクを読んだか」という。瀬名は読んだだろうか。 →引用元

いつもの瀬名秀明の欠点はこの作品でも健在。最終的に失敗し、倒される側がいつも、あまりに薄いんだ。 →引用元

作者のあなたにわかるだろうか、ぼくがこの最後の数十ページで感じた憤りを。 →引用元


特殊な業界のプチカリスマが、一般にも知名度のある人物とのツーショット写真を掲げて自慢しているのを見て、見ているこっちの方が恥ずかしくなることがある。だがそんな写真は信者にとっては教祖さまの権威を実証する、誇らかなものなのだろう。 →引用元


よくこんなんで批評できたな…自信過剰すぎる。 →引用元


特に瀬名作品は全然ダメ。こんな小説書いて売れるわけがない。小説家としての勢いが、そのまま作品の質&面白さに反映されていると感じた。 →引用元


「パラサイト・イブ」がSFかどうかとか、SFとしてどうかとか、擬人化がどうかとか、そういう話をするのは読者の勝手なんだけどね kikumaco 2013-12-07 11:06:01 →2次引用元

とばっちりは困るねえ kikumaco 2013-12-07 11:07:39 →2次引用元


一会員の意見として瀬名さんの件について。僕はSF作家クラブを親睦団体だと認識して入会し、その見解は今まで揺らいだことはない。いろいろな活動もしてるけど、それは親睦団体としての範疇を超えるものではなかったと思う。瀬名さんはそもそものところで思い違いをされていたように思える。 tadashi_ohta 2013-12-30 00:53:35 →2次引用元

創立50周年企画で瀬名会長が企画を矢継ぎ早に出してきたとき「このひとも小松さんみたいに頑張るひとなんだ」と感心した。ただ小松さんがまわりの人間をうまく引き入れてプロジェクトを成功させたようには、できなかったみたいだ。これは人の使い方の問題なのだろうと瀬名さんの文章を読んで思った。 tadashi_ohta 2013-12-30 00:57:42 →2次引用元

瀬名秀明のキャラクターが掴めないと前に書いたが、【変革への高い志→実現できず→対象を批判】というパターンが俺が読んだ限りでは三度見られる。『インフルエンザ21世紀』から『3・11の未来』で医療従事者や研究者や自分の父親を、日本SF作家クラブ会長辞任では日本SF作家クラブを、 akapon 2013-12-30 18:51:54 →2次引用元

星新一賞審査員辞任では賞関係者を。 akapon 2013-12-30 18:52:37 →2次引用元

どっちでもええやん、としか思えないので、何で揉めているのかがわからない。そんなことではいかんと言われても知らんがな。 yuusakukitano 2013-12-31 08:54:49 →2次引用元

昨夜寝る前にあの更新分を読んでしまいあっさり「売れなかった」とか書いてあって「売る方の身にもなってみろ」とかなり怒った。書いてる内容の一部はブーメランとなってご自身の身に突き刺さっているのではないか。俺けっこう共感してた筈なんだけど。 akapon 2013-12-31 10:43:42 →2次引用元

人心が離れていく過程を我が身で体験するっていう。 akapon 2013-12-31 10:44:00 →2次引用元


文章が下手である。もともと瀬名は東北大学薬学部の大学院生だか助手だかの時に、「ミトコンドリアDNAの一部が核に移行している」という事実を誤解して、『パラサイト・イブ』というけったいなSFを書き、たまたま世の中に「パラサイト・シングル」という言葉が流行していたので、小説が売れ映画にもなっただけの人だ。(中略)ただ、瀬名は気づいていないが、訳者の柴田裕之は(中略)選書と翻訳の能力において傑出した人である。 →引用元


これも含めて瀬名秀明の作品はことごとく詰めが甘いのだが、その中でも超一級の駄作であることは確かである。 →引用元


結局、長々とした脳科学の説明は謎解きとは何も関係がなく、ただ本作の物語の貧弱さをごまかすためのものに過ぎない。次々と短い単語を使って場面を展開していくラストの書き方も、謎めいた最後の展開に科学的な理由づけを与えないようにするトリックであり、実に姑息である。 →引用元


ちなみに最低点を獲得したのは瀬名秀明「不死の市」(10/40)。(中略)文章下手すぎワロタ、との評価も多かったです。これには第7回〈マジで誰が得するんだよこれ賞〉を授与します。
瀬名秀明「不死の市」 1点 →引用元

まるで世界の全てを背負っているような悲壮感を感じさせる主人公の態度がひたすらうっとうしい。
瀬名秀明「For a breath I tarry」 4点 →引用元

うぐう。最近の瀬名秀明は読むのがつらい。文学かぶれというか、あえてわかりにくくしている。
瀬名秀明「光の栞」 2点 →引用元

ちなみに最低点を獲得したのは瀬名秀明「希望」(16/40)。難解な構成と登場人物の行動の意味不明さが嫌われたようです。これには〈マジで誰が得するんだよこれ賞〉を授与します。
こんなの突き付けられてドヤ顔されても困りますよ。失望が最後に残る。
瀬名秀明「希望」 3点 →引用元

日経「星新一賞」入選作

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 おい、ここに第1回日経「星新一賞」入選者の小関悠という人が、入選作はどこにも公開されないので出版権が帰ってきたと書いてあるが、これ本当なのか!? 







 もし本当なら、おい、星マリナ、電通の奴ら、日経の奴ら、表に出ろ! ふざけるのもいいかげんにしろ!
 おれが出版してやろうか。他の出版社に持ちかけてもいいのか!

2013年の終わりに際して(おしまい)

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 本日は2013年12月30日。あと1日で日本SF作家クラブ50周年の年が終わる。それは同時に日本SF作家クラブ50周年記念プロジェクトがひとまず区切りをつけることでもある。あとは記念集の刊行と、主に協賛各社対象の記念祝賀会・謝恩会が残っているはずだが、一般のSFファンの人にはほぼ関係がない。
 どうだろう、SFファンの皆さまは、この1年を──正確にいうならジュンク堂書店池袋本店でのSFフェアオープニングイベントがあった2012年10月6日からの14ヵ月を──充実したものとして感じていただけただろうか? 
 この1年で日本SF作家クラブはたくさんのことをやった。書店のSFフェア、プラネタリウム番組の製作協力、宝塚手塚治虫記念館や明治大学を始めとする各種の展示会、アンソロジー企画、雑誌特集への参加、国際SFシンポジウム、ロゴマークの作成やTシャツの販売……この一年でSF作家クラブは多数の他流試合もおこなった。小説現代や小説新潮といった雑誌でのSF特集は、一流の直木賞作家らと肩を並べて雑誌を彩る体験を若手作家にもたらした。書店フェアのように予想以上の反響があったものもあれば、国際SFシンポジウムの一部のように人が集まらなくて閑散としたものもあったと聞く。私は残念ながら、会長職を辞したことと、後で述べる理由によって、そうしたイベントに自ら足を運び、きちんと成果を見届けることはできなかった。しかし私自身はそれぞれの企画を最適のクラブ員に任せることができたと思っているし、それぞれの責任者は嬉しいことに最後まで見事にやり遂げてくださったと思う。そうした責任者のごく一部にいわゆる「お友だち感覚」で事を運ぼうとする兆候が見られたときにはしっかりと注意し、そのことでその責任者と私の間に強い確執が生まれることもあったが、私はそうした人々のプライドさえも重視し、自ら会長職を退くことで彼らに物事をやり遂げる自由とプライドを与えたつもりである。
 そして、こうしたすべての結果を受け容れたうえで、この1年でSF作家クラブは、自身が掲げる「未来を想像し、未来を創る」のテーマの通りに、己自身の未来を創る最初の一歩を踏み出せたのだと私は考える。そしてこれが東野会長、北原事務局長のもとでさらに次の一歩、二歩が刻まれてゆくことを私は望んでいる。
 
 そして大切なのはSFファンである皆さまのお気持ちだ。皆さまは楽しんでいただけただろうか? 
 私はこの1年を次のように総括する。すなわちこの2013年は、いままで見て見ぬ振りをしてずっと溜め込んできた日本SF作家クラブの膿がついにどうしようもないほど広がり、溢れて、抜本的な意識改革が為されない限りクラブ自体が近いうちに沈没することが明らかになり、ついに次の50年に向けて動き出した年だったのだと。その改革のためには多少の犠牲もやむを得ないことで、私が会長を辞めることは日本SF界における一種の宿命だったと思う。私は2012年の3月、すなわち大森さんの入会推薦がだめになった前後に「きみに読む物語」というSF短編を書いている。この時すでに私は会長を辞任し、クラブを退会することを決意していた。あとは時期の問題だけだった。
 そして SFファンの皆さまにとっても、この1年はある意味で、辛い思いをさせることになったはずだ。日本SF作家クラブがもう沈没するかもしれないという事実を、はっきりと皆さまにも分かっていただく必要があり、SFファンダムそのものにもある種の意識改変を求めなければならなかったからである。SF業界は何か問題が起こったとき、極力その真相を隠して黙り込み、内に閉じこもって、嵐が過ぎ去るのを待とうとする。決して差別的な意味で使うのではないが、それは「SF」の精神性というより、お友だち感覚による「おたく」の精神性に因るところが大きいと私は感じる。だから私も自分のいいたいことはなかなか公表できなかった。
 昨日のエントリーで、日本SF作家クラブにはふしぎな「不文律」があり、入会に際して「一冊以上の単著があること」もそのひとつだと述べた。しかしよく調べれば、この「不文律」に当て嵌まらないのに入会している方々を見つけることもできるだろう。イラストレーターや声優さんなどはどのように判断すればよいのだろうか。
 なんのことはない、日本SF作家クラブはこうしたとき「親睦団体」という大義名分を掲げ、自分たちの好きな人は入れ、そうでない人は弾く。「会則」や「不文律」は、そうしたときクラブにとって都合のいいように利用される、その場限りのいいわけに過ぎない。嫌いな人を弾くときには「会則」や「不文律」を持ち出し、好きな人を入れるときにはそれらを無視するだけのことだ。規則よりも「その場でみんながなかよくすること」という刹那性の方が重視されるに過ぎないのである。
 これは「SF」の精神だろうか、というのが私にとって以前からの疑問だった。そして数年前から私は思うようになった。SFコミュニティは昔から「SFの精神性」と「おたくの精神性」を区別せず(あるいは区別できず)、その場に応じて都合よくそれらを使い分けたり同一視したりしてきたのかもしれない。その矛盾が50年経って、そろそろ限界に達しつつあるのではないか、ということだ。もっというなら、いままで「SF」と思われていた作品の一部は「SF小説」ではなく「おたく小説」なのかもしれない。「日本SF作家クラブ」の実態は、いつからか「日本おたく作家クラブ」になっていたのかもしれない。プロもファンもそれらをずっと混同してきたことが、多くの問題の原因だったのではないだろうか。
 もし日本SF作家クラブを本当に「親睦団体」にしたいなら、自前で運営さえできなかった日本SF大賞や、応募者がすっかり減ってしまった日本SF評論賞はすぐさまやめて、外部との接触も断ち、内輪だけで楽しめる会に変えるべきだ。時折パーティをして、温泉旅行をして、親睦を深める、それだけの会にすればよい。
 だが一方で、SFに何らかのかたちで関わるプロの方々にとって、いまなお「日本SF作家クラブ」という団体はどこかで憧れの対象であり、「日本SF大賞」は輝かしいものではないだろうか? 出版業界全体で見れば日本SF作家クラブや日本SF大賞など聞いたこともないマイナーなものかもしれないが、SFを創っている人ならば、一度は「日本SF大賞」を獲ってみたいと、本音では思っている人はいまもたくさんいるはずだ。そうした人たちの気持ちを日本SF作家クラブは今後も受け止める必要もあるのではないか? そのためにはまず日本SF作家クラブが組織としてしっかりしなければならない。こうした世間の「SFの精神」を、日本SF作家クラブはきちんと受け止め、発展させることができているだろうか? 

 本当はこの辺りのことを詳しく論じようと思っていたが、すこし疲れたので簡単に書くに留める。そして最初の問いに戻りたい。SFファンの皆さまは、この1年を楽しんでくださっただろうか? そして自分たちが変わり、次の未来に向けて一歩踏み出す勇気や想像力を、私たちと共有していただけただろうか? 私はすでに会長職を辞したので現在の詳しいデータはわからないが、少なくとも私が企画に携わった50周年記念プロジェクト関連のアンソロジーや雑誌特集は、どれも日本SFの歴史から見れば画期的なものだったと思うが、さほど反響もなく、売れ行きも決してよいものとはいえなかったように思う。『日本SF短篇50』の第1巻は増刷されたが、それ以降の増刷の話は聞かない。
 本当はこのような企画ではなく、もっとお友だち感覚の、内輪の企画をたくさんやった方がよかったのかもしれない。その方が多くのSFファンも安心して楽しんでいただけたのではないかと、いまでも思うことがある。私も最近はアイドル業界用語がすこし分かるようになってきたので引用するが、アイドルのイベントに足繁く通うファンのことを「おまいつ」という。「おまえいつもいるな」の略だそうだ。もちろんアイドルの売り上げはこうした熱心な「おまいつ」の皆さんの大量購入によって支えられており、いつもよい席が用意されている。だが一方でそうした人々がいることが、新規のファンを怯えさせることにもなる。SFのイベントでも業界の方々や「おまいつ」の方々がたくさんいらっしゃる。だがここから先のことを仕掛けていかないと、SFはいつまでも仲間内へのサービスで終わってしまう。SFのイベントではその後に会場の参加者と登壇者がいっしょに飲み会をすることが多い。むしろそうした飲み会の方がイベントのメインである。オンとオフの感覚が通常の社会常識とは逆なのである。これでいいのだろうか。そうしたジレンマを、私は会長職のときにいつも抱え、悩んでいた。私が外部の企業や団体にいくら働きかけ、SFを拡げようとしても、結局は「お友だち感覚」や「親睦」が勝利するのではないか。改革と親睦は決して二項対立するものではなく、両者をともに充実させることはできるはずだが、うまい方策が私には見つけられなかった。

 この2013年が、皆さまにとって多くの意味で実り多い1年であったことを願う。そしてそれが実現されているのなら、それは現会長の東野司さんと現事務局長の北原尚彦さんの不断の努力のおかげである。任期半ばにして会長職を辞任し、同時に退会せざるを得なかったことについて、改めて私は皆さまにここでお詫びを申し上げるとともに、東野さんと北原さんをはじめとする日本SF作家クラブの皆さまに御礼と感謝を申し上げる。
 私自身は会長職辞任後、中編「ミシェル」を書き上げたころから体調を崩し、ほとんど原稿が書けなくなってしまった。環境の変化と、日経「星新一賞」に関する諸問題での疲弊が、心身に出たのだろう。約束していた岩崎書店の「21世紀空想科学小説」も結局書けず、辞退することになってしまった。今年は予定の半分も原稿が書けなかった。
 仲間は必要ない。少しずつ自分を取り戻していきたいといまは考えている。次の長編小説は1997年の『BRAIN VALLEY』以来、17年ぶりのバイオサスペンスとなる予定だ。それに取り組みながら、作家としての瀬名秀明を取り戻してゆきたい。
 どうぞ皆さま、よいお年をお迎えください。

【2013.12.31追記】
 朝起きてみたら、前事務局長・増田まもる氏と日本SF作家クラブ公式のTwitterが、私を批判している内容のツイート(akapon氏という方)をリツイートしているのを見つけて、大笑いさせていただきました。一昨日、現会長の東野司さんから、来年2月1日の祝賀会の出席を打診されたばかりでした。たくさんの会員が瀬名に感謝の気持ちを伝えたいと思っているからぜひ出席を、というお話でした。残念ながら当日は別件があって出席できないので皆さまによろしくと返信したところ、それならせめて協賛各社の方々へメッセージを、とのお話もありました。
 でも日本SF作家クラブの一部の本心がわかったので、やめることにしますよ。もっと私を嫌って、今後も団結して下さい。
 あとakaponさんは新井素子さんのファンの方らしいので、私の文章の中に新井さんに対する発言があったことにわだかまりを感じていらっしゃるのかもしれません。いままで日本SFコミュニティでは新井さんは聖域のような方でしたから。
 でも私は「変革への高い志」はあったけど、日本SF作家クラブ50周年記念プロジェクトと、クラブの改革については、別に実現できなかったとは思っていません。自分は退会はしたけれど、それは実現への道筋だったと本心で考えていますよ。それに都合の悪いことを黙っているより、50周年の最後に際して、しっかり物事を記録しておくのは大切なことだと思います。それから父のことは別に批判していません。世界についての違和感を表明し続けている、というのはよいご指摘で、一部の作品群ではまさにそれがテーマであるとは思います。
 朝から爆笑できて、よい年末でした。ありがとう。

不評を集める3

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さらに不評を集めてみました。

(以下引用)


正直、あの書き方はフェアじゃないと思うよ。対談本をどれだけ罵倒してくれてもそれは全然かまわないけど、「パライブ事件」を一方的に書くのはフェアじゃないね。 →引用元

あとになって「擬人化してないよ」と言われても、「そんなのわかるわけないじゃん」という感想しか出てこない。一読目ではっきりわかるように、もっとあからさまに書け、と文句を言うことになる。最初に読者に「擬人化している」と思われたら、それでおしまいなのだ。そして、「擬人化している」と思うか思わないかは読者の勝手である。 →引用元

今現在の瀬名さんの姿勢自体は「あんたはアムロかよ」とツッコミを入れたくなるくらい幼児退行的且つ視野狭窄的で、全然同情する気になれません。 →引用元

瀬名さんのニセ科学問題に対する他人事のような突き放し方には、正直言って一種の知的な鈍感さすら感じた。 →引用元

産学連携でお金をもらってるんでしょ? そこでもらってる金額からするとちゃんとしたプロのウェブ業者にウェブサイト構築を頼む費用なんてわずかなものだと思うけど。そんなところをけちって、いちばん安価な情報伝達手段さえおろそかにするのはどうか。 →引用元


多くの方が割と信じていらっしゃるようなので念の為付け加えておくと、瀬名秀明さんのブログに書かれている日本SF作家クラブ批判の内容は、ぼくの記憶や認識とは大きく異なっている、とだけは言っておきます。SF作家クラブはそれに対してちゃんと対応するべきだったかもしれません。 →引用元 From: naoya_fujita at: 2014/04/26 06:03:32 JST

辞めた人(批判的な見解を持っている場合がある)は中のことなども含めて(会則に縛られないで)好き勝手書けるのに対して、会の中に留まって、色々と奮闘したりなんとかしようと努力している人たちは、そのことを何も書けないんだもの。……ネット時代の「透明性」への希求に対応が鈍かったかもだね。 →引用元 From: naoya_fujita at: 2014/04/26 13:39:57 JST

私は日本SF作家クラブに恩義がありますし、少しでも良くされようと尽力し、奮闘されてきた方々の姿を見て来たので(往々にして、そういうものは表に出ないし、自己宣伝するような方々ではない)、それを無碍にするような真似はできない、と心情的に思っております。 →引用元 naoya_fujita 5:24 - 2014年4月26日



以前の会長の瀬名さんの努力を揶揄するようで申し訳ないが。 →引用元 shinichiroinaba at: 2014/04/26 20:45:20 JST


SF作家クラブがどうこう以前に、瀬名さんは誰かと一緒に何かを運営するっていうのが向いてない人っぽい
多分、きれいなSF作家クラブを作ったとしても何の感のいってこうなってた気がする
敵の敵は味方とばかりに東みたいなのともつるめる人って時点で色々お察しだけど →引用元#574

瀬名のブログ痛すぎる
もはや触れない人だな →引用元#625


ブログ読むと被害者ぶりっこの達人だなw
鬱病の人は自分を心の中だけで責めるんだよ、自分の正義だけを主張してあんなに他人を糾弾しない →引用元#600


瀬名はミトコンだけで他ぱっとしなかったね →引用元#115

セナのメンヘラブログまたくるのかな →引用元#186

瀬名(中略)はただのサークルクラッシャー →引用元#491

瀬名が余計なことしなかったら入会できてたかもな →引用元#518

ああ、瀬名ってなんだったんだろうなw
今はただの危ないメンヘラちゃんだし →引用元#531

瀬名がそもそもあてにならない →引用元#731

瀬名さんは、ブログのエントリーがおかしいんだよね
(中略)東とやった時の喋り変だったもん →引用元#826

メンヘラーではあるよね。セナ。 →引用元#830

瀬名は最近のブログがおかしくない? →引用元#911

自分を批判した人の呟きを挙げたブログは狂気を感じた>瀬名氏 →引用元#914

仕事

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【コメント】ワンダーライフスペシャル ドラえもん&藤子・F・不二雄公式ファンブック『Fライフ』01/2014.4.3/ISBN978-4-09-106537-7/本体950円/「マイ・ベスト・Fアンケート」/(無題)p.126
【インタビュー】図書新聞/2014.4.5/interview/馬渡元喜「小松左京を継承し、そしてその先へ」p.8
【インタビュー】女性自身/2014.4.8号/READER’S PARADISE「新刊著者の告白」/(無記名)「新生」P.129
【書評】週刊朝日/2014.4.25号/週刊図書館crossover「サイエンス」/「文章から力みが抜けた〝純粋のSF〟」p.93
【ブックフェア】図書新聞企画 瀬名秀明さん選書コーナー<『新生』刊行記念―瀬名秀明の世界>/2014.4.10-未定/東京堂書店神田神保町店3F 図書新聞常設コーナー →図書新聞さんTwitter投稿写真





【解説】星野之宣『ヤマタイカ 星野之宣スペシャルセレクション』第1巻/潮出版社/2014.5.1/ISBN978-4-267-90611-4/本体1400円/「解説」pp.329-333
【ラジオ出演】“耳で楽しむ”藤子・F・不二雄の世界~SF短編・朗読ライブ~/2014.5.19(月)17:20-18:50/NHKFM 富山県内 *番組75分+中條アナウンサーと文学館学芸員さんのトーク。瀬名の部分は再放送。

最近のこと

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このところ、ふつうの近況をまるで書いていないことに気づいたので、ちょっと書いてみることにした。

 4月25日は上京。お昼にとても楽しい対談企画をやった後、私が退会した日本SF作家クラブの総会がおこなわれているちょうどその時間、わりと大切な案件のミーティングに参加。
 一泊して、中野サンプラザでおこなわれた9nineのライブに行ってきました。昼・夜の2回参加ははじめて。大満足して仙台に帰宅。
 いまは次の長編をこつこつと書いているところです。たぶんいままででいちばん難しい題材とテーマなので、調べ物もなかなか大変……。ですが作品自体はなるべく読みやすくスピーディな文体を心がけています。20年前の『パラサイト・イヴ』のころに戻った気持ち。まだいつ皆さまのお手元へお届けできるかはっきりしたことはいえませんが、努力します。
 「不評を集める」というのをやってみましたが、やはり読者の方からも「悲しくなるからやめて」という声があるので(大森望さんからは「ブログが荒れているというとふつうはコメント欄が荒れるものだが、瀬名さんの場合はブログ自体が荒れている」といわれたw)、いったんここでやめておきましょう。
 それではまた。

 そうだ、今年の星雲賞日本短編部門の参考候補作に拙作「ミシェル」が選ばれていました! これは嬉しい。

これからの講演

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【講演】企画展「まんが家 藤子・F・不二雄の『SF』(すこし・ふしぎ)」/2014.5.17(土)14:00-15:30/記念講演「一度も会えなかった藤子・F・不二雄先生が、ぼくに教えてくれたこと」/高志の国文学館研修室101/定員120名、事前申込必要:企画展ウェブページに詳細あり


【講演】東北大学多元物質科学研究所同窓会「多友会」講演会/2014.7.17(木)16:30-17:30/東北大学 片平さくらホール
【シンポジウム他】第53回日本SF大会 なつこん/2014.7.19(土)〜20(日)/つくば国際会議場ゲスト・オブ・オナー/特別シンポジウム企画(出演=豊橋技術科学大学学長・榊佳之先生、筑波大学名誉教授・星野力先生、公立はこだて未来大学教授・松原仁先生、東北大学教授・山家智之先生、司会=京都大学iPS細胞研究所准教授・八代嘉美先生)など


【講演】第24回 日本外来小児科学会年次集会/2014.8.31(日)/「未来を想像し、未来を創ることについて 〜〝生まれかけの贈りもの〟としての生命科学と医療を考える〜」/大阪国際会議場

「日本のSFの厳しい現実」

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 こんな記事が出ていた。
 朝日新聞(ニュースQ3)「日本のSFの厳しい現実」2014.5.21付

 ふーん、という感じで、一点を除いては特にコメントなし。その一点とは、「作家たちも自立の道を探り始めた」のところ。設立50周年の各イベントが進んでいたときは、私が退会するまで他の退会者はいなかったので、この文脈はちょっと時系列がおかしい。
 さて「10名ほどが退会を表明」とのことだが、実際にどのくらいの人が退会したのか、把握しているのはクラブの会員しかいないだろう。
 ここに2014年4月30日現在の日本SF作家クラブの会員名簿がある。一方、『日本SF短篇50』全5巻には、2013年1月現在の会員名簿が載っているので、比較すれば誰がその後入会し、誰が退会したかすぐにわかる。私の数え間違いがなければ、以下の通り。大森望さんの入会が否決される前から退会している人もいる。

【退会者】
・南山宏
・東浩紀
・上田早夕里
・榎木洋子
・笠井潔
・倉阪鬼一郎
・菅浩江
・瀬名秀明
・堀晃
・松崎有理
・山田正紀
・横田順彌
以上12名

【入会者】
・池澤春菜
・タヤンディエー・ドゥニ
・月村了衛
・藤井太洋
以上4名

 「会員数250名のうち、たかが10名くらいの退会者で騒ぐな」という意見の人もいるかもしれないが、日本SF作家クラブ編『日本SF短篇50』収録作家50名のうち、一割にあたる5名が退会していることは重視されてよいと思う。そして今後も増える可能性があるわけだ。
 さて、大森望さんの入会が否決されたのは2014年4月25日の総会だが、このとき新たに入会が承認された人もいる。しかしその人の名前は4月30日付の名簿に載っていない。鏡明さんは名誉会員になることを意思表明したそうだが、名簿上はまだ名誉会員になっていない。ツイッターで退会すると明言した人でも、まだ名簿に残っている人がいる。まあ5月以降もクラブ関係のイベントが色々あったので、それが終わるまでは退会しない、という人もいただろう。
 クラブの名簿管理は、私が会長時代のとき、ひとりの事務局次長がおこなっていた。兼業作家だったのでお忙しかったのだと思う。名簿の更新は遅れがちで、半年近く新規会員が登録されないこともあった。お忙しいのならサポートをつけようと私は提案したこともあったが固辞された。現在も同じ人がやっているようなので、名簿の更新は遅れているのだろう。だから現在の名簿が実情を反映しているとは限らない。ただ、日本SF作家クラブの会員になることを名誉だと考える方は、一刻も早くこうした名簿に載りたいと思うはずだし、連絡などにも支障を来す可能性があるので、名簿管理はもっと改善した方がよいと私は思う。


 ところで第34回日本SF大賞贈賞式の中継も「ニコニコ生放送」で観た。今回の協賛は株式会社ドワンゴである(公式ページにも記されている)。「ニコニコ生放送」の開始30分くらいから、株式会社ドワンゴの夏野剛取締役が挨拶しているのを聴いた。「次回はこの賞自身も私どもが関与して、この(贈賞)式自身もかなり盛り上げた演出を入れた、イノべーティブなことをやらせていただきたい」というスピーチに一抹の不安がw。
 なお私は会長時代、次回以降の日本SF大賞のスポンサー探しにはいっさい関わっていない。当時の事務局長は「次は早川書房に頼めばいい」などと気軽に考えていて、呆れたことくらいか。あとは「若いクラブ会員たちを中心に、一年で根本から立て直してほしい」と東野次期会長に心からお願いしただけだ。いくつかスポンサーの狙い目も東野次期会長と話し合ったが、ドワンゴさんの名前は出さなかったし、思いつきもしなかった。星新一賞のときに苦労したので、移り代わりの激しいゲーム・IT系企業は文芸賞のスポンサーには向かないと悟っていたからだ。
 ドワンゴさんがスポンサーになるらしいと私が初めて聞いたのは、2014年1月11日にゲンロンカフェで東浩紀さんや大森望さんと鼎談したとき。そこで大森さんから、
「ドワンゴさんが『とにかくSFを応援したい』と作家の野尻抱介さんに連絡してきた。野尻さんが自分(大森さん)に連絡してきたので、日本SF作家クラブを紹介し、いまその詰めに入っている段階のようだ」
 といった世間話を聞いたのである。実際のところは知らない。なおドワンゴさんは日本SF大会と日本SF作家クラブの違いも知らなかったそうだ。
 その後、星賞の調整で、2014年4月5日に3次選考委員の牧眞司さんと大森望さんと共に電通へ出向いた。その帰り、3人で喫茶店に寄った際、日本SF大賞のスポンサーのことが再び話に出た。先の星賞のこともあったので、「私が会長なら引き受けないなあ。でも会長の東野司さんや事務局長の北原尚彦さんがそれでいいと納得なさったのなら、いいのではないか」と個人的感想を述べた。まあとにかく、急いでスポンサーは決まったのだろう。ドワンゴとKADOKAWAの関係がどうなるかという点については、たぶん大森さんも東野さんも北原さんも知らなかったんじゃないかな。私も当然、どうなるかなんて知らなかった。
 なお退会した私・瀬名が、たとえば牧眞司さんのような日本SF作家クラブ会員と協同で、何かSFの仕事をしていることがクラブ内にわかると、面倒なことをいってくる人が出てくる可能性があるそうだw。へんな陰謀論を妄想する人がいるのだろう。だからそうした動きはたとえあってもいわないでくれと東野さんから忠告された。東野さんがご苦労されていることはわかっているので私も了解したし、牧さんも了解した。なので2014年4月5日の会合でわたしたちが会ったことを、牧さんは当時ツイートでほのめかしたが、それ以降は私について、あくまで評論家として以上の言及はしていないはずである。
#そうだ、こんな風に書くと、また「東野会長は裏で密かに瀬名と何度も連絡して通じている」などとくだらない陰謀論を展開する人が出るかもしれないのでひと言。この後書くように、第1回星賞の受賞作・入選作が出版できそうだとなった時点で、では編者名をどうするかという話になった。詳細は省略するが、日経の名前を出す方法と、あえて出さない方策が考えられた。それで私の方から東野さんに連絡し、「こういう本が出るとき日本SF作家クラブは協力団体なので『日本SF作家クラブ編』とすることは可能か」と4月に打診したのだ。東野さんの答は込み入ったもので、それらの条件をクリアするのは無理だとわかったので、早い段階でこの案は消えた。そのとき久しぶりに東野さんと電話で話しただけである。ついでに、先のような忠告があっただけのことだ。誤解ないように。


 星賞に関してはいままであえて黙っていたが、3月以降、かなり動いた。受賞作・入選作の書籍化も、あとは日経側が承諾すればすぐに出せるという段階まで某大手出版社の某有名叢書編集部と話をつけたし、ポピュラーサイエンスの有力誌に新作発表の場も持てるよう私が率先して交渉した。運営費が足りないなら、私が毎年50万円か100万円を運営費として寄附しよう、瀬名の名前はいっさい出さなくてよい、という提案まで出した! 
 だが日経サイドのねじれと星賞実行委員会側の力不足で、結果としては何も変わらなかった。星賞実行委員の人たちは「少しずつ星賞はよくなってきている」と主張するが、まったくそんなことはないと私は思う。実際、第2回の受賞者に対するケアも、いまはまったく決まっていない。
 もし今後、星賞に応募しようかどうしようか迷っている方がいらっしゃるのなら、私個人は次のようにアドバイスする。
「星賞は運営体制が整うまで応募するな。下手に受賞してもあなたのキャリアに傷がつくだけだ。もし本当に理系文学を目指したいなら、むしろいまは創元SF短編賞かハヤカワSFコンテストを狙いなさい」

 そして第1回の星賞に入選した一般部門の方は、難しいとは思うがどうか気持ちを切り替えて、他の新人賞への応募を続け、そこで受賞することで力強く羽ばたいていっていただきたい。実際、第1回入選者の高島雄哉さんは、第5回創元SF短編賞の受賞者となった。ペンネームが別のものだったので、私は当初同一人物だとわからなかったのだが(だから審査段階で不正にプッシュしたりはしていない)、実力のある人はこうして星賞に関係なく表に出てゆくことができる。どうか頑張って欲しい。応援しています。
 とにかく受賞者・入選者を大切にしない賞はだめだ。これらの思いについては、またいずれ、まとめて書くかもしれない。

 追伸:遠藤慎一さん(作家の藤崎慎吾さん)が第1回グランプリ受賞者だったということは、本当に星賞実行委員会の誰も知らなかったそうだ。完全なチューリングテスト状態で審査はおこなわれた(ただし作品の本文中にご自身の職業などを書き込んでいた応募者は、最初のうち本文と一緒に予備選考委員へ情報が流れてしまった。途中でそのことに気づいた実行委員会は、本文以外の記載を消してから予備選考委員に渡すよう努力したらしい)。最終選考委員の方々も、なんと授賞式当日まで受賞者が藤崎さんだったとは知らなかったそうだ。この点に関してはいろいろ訊いて確認した。だから審査に不正が働いたということはない。
 藤崎さんの小説は昔から愛読している。だから彼を囲んで、近いうちにささやかなお祝いを兼ねた食事会をしようと思っている。

これからの講演

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【トークイベント】東日本大震災文庫展Ⅳ関連企画「小松左京が遺したもの―震災の記憶・未来へのことば―」瀬名秀明・圓山翠陵・乙部順子/2014.6.21(土)13:00-14:30/宮城県図書館2階 ホール養賢堂/定員200名/参加料=無料 *お申し込みはこちら


【講演】東北大学多元物質科学研究所同窓会「多友会」講演会/2014.7.17(木)16:30-17:30/東北大学 片平さくらホール
【シンポジウム他】第53回日本SF大会 なつこん/2014.7.19(土)〜20(日)/つくば国際会議場ゲスト・オブ・オナー/特別シンポジウム企画(出演=豊橋技術科学大学学長・榊佳之先生、筑波大学名誉教授・星野力先生、公立はこだて未来大学教授・松原仁先生、東北大学教授・山家智之先生、司会=京都大学iPS細胞研究所准教授・八代嘉美先生)など


【講演】第24回 日本外来小児科学会年次集会/2014.8.31(日)/「未来を想像し、未来を創ることについて 〜〝生まれかけの贈りもの〟としての生命科学と医療を考える〜」/大阪国際会議場

日経「星新一賞」の件(最後に)

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 さて第2回日経「星新一賞」の応募要項が発表されました。ですが応募しようかどうか迷っている方は、以下の点によくご注意いただきたく思います。

・第1回における「入選作」に相当するものがなくなった。第1回のときは一般部門で受賞作4編と入選作6編あわせて10編、ジュニア部門で受賞作1編と入選作9編あわせて10編がそれぞれ選ばれ、これら20編が入賞として扱われたわけだが、今回はグランプリ、準グランプリ、優秀賞だけになっている(代わりにジュニア部門で準グランプリと優秀賞が増えた)。第1回で一般部門入選作の扱いがあまりにひどくてクレームがついたためと思われる。

・注意事項欄において「※ 審査結果の通知に関しましては、受賞作の発表をもってかえさせていただきます。」とあることに注意。つまり受賞作を最後に発表するだけで、第1回と同様に最終選考に至るまでの選考経過はいっさい公表しないということだ。
 これにはねじれた理由がある。日経新聞社のウェブページには海外からのサイバーアタックが多いため、星賞の応募作とそれに関わる応募者の個人情報は、すべて星賞実行委員会と「守秘義務契約」を交わした別会社が一括管理している。それら応募者の個人情報は主催者である日経のごく一部の人しかアクセスできず、星賞実行委員会メンバーですら知ることはできない(だから完全チューリングテスト状態で予備審査から最終審査までがおこなわれており、受賞者決定後も実行委員会はその人の素性を知ることができないのだ!)。
 こういうシステムであるため、建前上は主催者である日経も、星賞実行委員会も、応募者や受賞者に対して直接連絡することはできない。必ずこの管理会社から連絡が行くことになっている。主催者サイドが受賞者のケアに冷たいのは、こうしたシステムに起因するところも大きいと感じる(私は主催者サイドや星賞実行委員会が受賞者にコンタクトを取ることと、日経本社がサイバーアタックから身を守ることは、まったく別の話だと思う。意味がわからない)。
 ということで、完全チューリングテスト状態で審査を進めるから、途中選考経過をウェブ等で発表することが不可能なのだ。ではせめてエントリー番号とタイトルだけでも発表すればいい、と私は提案したのだが、いまのシステムだと自動的にエントリー番号を割り振れないらしい。おそらくそのシステム改善にお金がかかるので、途中経過を発表する手立てがないのである。(タイトルだけだと同じものが複数あるので、それだけでは個別化できない)
 第1回のときは、それでも最終選考に残った人には個別にメールで連絡が行ったらしいが、今回もそうなるかは不明。そのことさえ明記されていないのは主催者サイドの不備としかいいようがない。よって、今回も応募者は、受賞作が発表されるまで、いらいらすることになるだろう。

・注意事項欄に「※ 受賞作は電子書籍として日本経済新聞社より無料で配信される予定です。この電子書籍の配信について印税は支払われません。」と出た。第1回のときと微妙に違うのは、今回主催者サイドが紙の本による受賞作出版の可能性を放棄したと読めることである。よくよくご注意いただきたい。

・「第2回 日経「星新一賞」における追記事項」に、潔く「※ 本賞は、受賞者の次作以降の出版を保証するものではありません。」と明記された。つまりこの賞は今回から、プロの作家や各種クリエイター、ないし科学者としてのステップアップを目指すものではなく、ひと夏の思い出づくり、懸賞小説の類くらいに考えておくのが妥当であろう。

応募にあたっての注意事項|第2回のページに行くと、第1回のときよりも応募者にとって不利な条件が課されたことがわかる。
「受賞作を書籍または電子書籍として利用する権利は、授賞発表の日から3年間、日本経済新聞社に独占的に利用許諾される(※1)ものとします。」「※1 日本経済新聞社は、自ら受賞作を書籍または電子書籍として出版することができ、また、第三者に対して、書籍または電子書籍として出版することを再許諾できるものとします。受賞者の著作者は、日本経済新聞社以外の者に受賞作の利用を許諾したり、出版権を設定したりすることはできません。」とくにこのあたり、応募者はよくよく注意し、自覚の上で行動してほしい。

・第2回の協力団体に「ロボコンマガジン」誌が新たに入った。本年4月以降の私・瀬名の紹介によるものと思われる。受賞者の新作発表の場として検討してくださっている最中だと思うが、どうなるかはわからない。

 以上、気づいた点をまとめました。
 私が星賞についてブログで発言するのはこれが最後とします。星賞に応募しようかどうしようか迷っている方への私からのアドバイスは、残念ながら以前に書いた通りで、変わりません。

「星賞は運営体制が整うまで応募するな。下手に受賞してもあなたのキャリアに傷がつくだけだ。もし本当に理系文学を目指したいなら、むしろいまは創元SF短編賞かハヤカワSFコンテストを狙いなさい」

 そして、それでもなお星賞に応募し今後受賞される方々も、どうか他の新人賞への応募を続け、そちらで受賞し、大きく羽ばたくことで、理系文学の未来を切り拓いていっていただきたいと切に願います。


*私・瀬名秀明がこれまで日経「星新一賞」について書いてきたのは、このように具体的な問題点を公的に示すことで、主催者や星賞実行委員会の皆様にどこがまずいのか、何を改善すべきなのかはっきりと理解していただき、組織内でよく話し合って、よりよい賞にしてほしいと願ってのことであることを、ご理解いただきたく存じます。

近況

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 昨日は芸能山城組の『群芸 鳴神』を観るため、なかのZEROホールへ。会場には人工知能関係の偉い人のお顔もちらほら。『鳴神』は今回でいったん終了とのこと。山城先生にご挨拶して日帰り。
 ほぼ10ヵ月ぶりに短編を書いた! 「なつこん」の書き下ろしアンソロジー用。といっても気がついたら97枚になっていました……。これじゃ短編じゃなくて中編だよ。以前、SFWJ50用で『SF JACK』というアンソロジーに、「よし、SFとタイトルにも謳うのだから、これぞSFというものを書いてやれ」と思って、気合いを入れて「不死の市」なる短編を書いたら、SFファンの人たちにさえ「難しすぎてよくわからない」といわれたので反省し、今回はあえて2、3行読み飛ばしてもわかるくらいの文体で書いてみたのだけど、どうだろう。まだ反応をいただいていないのでわからない。どきどき。
 『スペース☆ダンディ』のイベントの抽選が当たっていた! すごい! 本当は7月のDJナイトにも興味があったのだけれど、「なつこん」当日朝までのオールナイトイベントだから行けない。だからもうひとつの方に応募したのだ。

 本日午前は病院へ。「その後どうですか」で始まる、いわゆる5分間診療というやつだけれど、「8割方はよくなってきたと思います」と伝える。最後に「前と比べて自分が変わったなと思うところはありますか」と訊かれて、不意にいろんなことが頭を過ぎり、言葉につかえてしまった。たぶん医師はこういうことを聞きたかったわけではないと思うが、こんなふうに答えた。
「こちらから周囲に病気のことを伝えたので、環境は一年前と大きく変わりました。ほとんどの人は、私を避けるようになったと思います。仕事量は半分に減りました。いまはほとんど人から連絡が来ることはありません。たぶん以前の知り合いたちは、飲み屋でいまも私の悪口を言って嘲笑っているでしょう。そうした雰囲気の一端は実際に(ウェブ等で)見かけることもありますが、気にしないようにしています。仕事上の問題で本当に怒らなければならないときは、病気と関係なく怒りますが」
 口に出してはいわなかったが、こうつけ加えることもできたと思う。
「飲み屋で人の悪口や噂話を言って憂さ晴らしをすること。それが私のいる業界の特徴なので、仕方がないのです。まだいまも、新しい仕事に取りかかるときは、少し労力が要ります。以前のように3食自分で楽しみながら料理できるようになったら、たぶんそれが全快したときだと思います」

 去年から今年にかけては、小説公募新人賞にも関わったので、その入選者や受賞者とメールでやりとりする機会がここ数ヵ月あった。「感謝しています」とか「大恩ある先生に……」などといったお言葉を頂戴することもあるけれど、受賞・入選した方々が、ご自身の実力を存分に発揮し、今後もたくさん活躍してくだされば、私はそれだけで本当に嬉しいのだから、こちらのことは気にしていただかなくて大丈夫。かえって受賞者・入選者の方々に苦しい思いをさせてしまったかもしれない。むしろ私のことなどもう忘れて、新しい編集者や出版社との出会いをどんどんつくっていってくれればと願っている。もちろん最初は紹介したりもするけれど、やはりいちばん大切なのはその人自身の作品が持つ実力なのだから。
 SF業界の一部では、ふしぎなことにこうして編集者や出版社を紹介してもらうことにすごく恩義を感じる人がいるようで、ずっとその恩義を引きずって人間関係が構築される。書評してもらったり、エッセイで名前を挙げてもらったりすることで、必要以上に感謝する人もいるようだ。
 これは逆にいえば、自分が少し偉い立場になったら、知り合いの出版社を紹介してやることで、一生その相手を自分の手下・舎弟・奴隷・傀儡として使えてしまうことを意味しているんじゃないかな。たとえば平凡社・作品社・彩流社・図書新聞、このへんを紹介すればいいのかしら。ああ、こう書くと、これが悪口になる?? でもそうしている人も実際「誰それはおれの舎弟だ」「(自分が推薦する)○○さんの入会に反対する人がいたら、おれが弾圧してやる」「瀬名くんにはそろそろ本当の帝王学を学んでもらいたい」とか平気で人前で口にしていたのだから悪口ではないね。
 こんな話を帰省のときにつらつら父と話していたら「少なくとも自分のいる自然科学の分野ではありえないな」といっていた。
 私もそういう人間関係はよくわからない。書評だって、ふだんはあえて自分のよく知らない人の本を選んでいる。知り合いの人の本を誉めるときは、本当にそれが相手にとってエポックとなるような傑作のときだ。
 そんなよくわからない関係は抜きにして、本当に原稿の善し悪しで、編集者と自分の間で信頼関係が築けるようになればいい。というわけで私はいまも図書新聞にはときどき書いている。
 ここ一年で読ませていただいた新人の皆様の受賞作・入選作は、どれも私にとって本当に面白かった。きっとどこかで、彼らの単行本が出たら、まっさきに買うと思う。読んで面白かったらどこかの書評で誉めることもあると思う。でもそれは恩義云々とか、知り合いだからとか、そういうことじゃないのだという単純な話を、ここでは伝えたかっただけだ。

なつこん

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 第53回日本SF大会「なつこん」に、ゲスト・オブ・オナー(GoH)として参加します。光栄なことで、本当にありがとうございます。

第53回日本SF大会「なつこん」ホームページ
・日程:2014年7月19日(土)〜20日(日)
参加料金:2014年6月末まで一般20000円、7月1日以降当日まで一般25000円
・会場:つくば国際会議場
星雲賞投票:6月15日まで


プログラム
 出演企画が決まり次第、ここに書いておくことにします。

・つくばSF特別シンポジウム「サイボーグ・生命・感性の未来」【GoH企画】
日本SF大会「なつこん」では「サイボーグ・生命・感性の未来」というテーマで、下記のパネリスト、コメンテーターによる特別シンポジウムを行います。科学の街「つくば」ならではの企画です。お楽しみに。
※日時・部屋など詳細につきましては順次、公開していきます。
パネリスト:
松原仁様(まつばらひとし)
1959年生まれ、公立はこだて未来大学教授。コンピュータ将棋や「きまぐれ人工知能プロジェクト 作家ですのよ」など、人工知能・感性工学の分野を研究。
山家智之様(やんべともゆき)
1959年生まれ、東北大学加齢医学研究所教授。人工心臓の開発、バーチャルリアリティの医学応用など、医療とサイボーグ分野を研究。
星野力様(ほしのつとむ)
1938年生まれ、筑波大学名誉教授。先駆的な並列計算機PAXコンピュータを開発。近年はチューリングとエニグマ暗号に関する研究・著書で有名。
榊佳之様(さかきよしゆき)
1942年生まれ、豊橋技術科学大学学長。2013年度「文化功労者」に選出。ヒトの21番染色体を解読し「ヒトゲノム計画」を推進した世界的リーダーのひとり。
コメンテーター:
瀬名秀明様(せなひであき)
1968年生まれ、作家。『BRAIN VALLEY』で第19回日本SF大賞受賞。「なつこん」ゲスト・オブ・オナー。
司会:
八代嘉美様(やしろよしみ)
1976年生まれ、京都大学iPS細胞研究所上廣倫理研究部門准教授。幹細胞生物学と生命倫理問題に取り組む。日本SF作家クラブ会員。


なつこんパーティ
日時:2014年7月19日(土)18:00~19:45(開場 17:45)
場所:つくば国際会議場 1F エントランスホール
出席ゲスト:瀬名秀明 氏、佐藤竜雄 氏
参加料金:パーティーの参加には、なつこんへの参加登録の他に下記料金が必要です
事前申し込み締切 2014年6月30日(月)必着
成年(20歳以上・アルコール有) 8,500円
未成年(20歳未満)、成年(20歳以上・アルコール無) 6,000円

モンテカルロ国際テレビ祭

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 知人であるNHKプロデューサー・篠原圭(しのはらけい)さんの制作したドラマ作品、『東京が戦場になった日』が、第54回モンテカルロ国際テレビ祭でテレビジョン・フィルム部門の最終6作品に残り(英語タイトルはBattlefield Tokyo)、特別賞としてモナコ赤十字賞を受賞されました。赤十字の精神を少なくともひとつ表現しているフィクション作品に贈られるのだそうです。おめでとうございます!

 映画祭トップページに次々と登場する受賞者の写真を、ずっと横にクリックしてゆくと、篠原さんが出てきますよ。

 →候補作一覧PDFはこちら。
 →結果発表のリリースPDFはこちら

 ドラマ『東京が戦場になった日』は、8月ころにまた再放送されるそうです。 →制作当時のドラマスタッフブログはこちら。

 そのほか、篠原圭さんが制作統括し、昨年の東京国際映画祭で上映された8Kドラマ『コーラス』についてはこちら

仕事

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【解説】星野之宣『ヤマタイカ 星野之宣スペシャルセレクション』第1巻/潮出版社/2014.5.1/ISBN978-4-267-90611-4/本体1400円/「解説」pp.329-333
【インタビュー】産経新聞/2014.5.14/文化/海老沢類「想像力でひらく「震災後」」p.15
【インタビュー】北日本新聞/2014.5.24/文化「文芸・評論」/寺田幹「科学の面白さ 物語に」p.17
【書評】週刊朝日/2014.5.30号/週刊図書館crossover「サイエンス」/「〝虫好きのツボ〟を押す!」p.87


【エッセイ】kotoba/No.16(2014年夏季号、2014.6.6)/特集 生命とは何だろう?「Part6 思想としての生命科学」/「“幹”と“萌芽”としてのいのち SFと科学の狭間で生命を問う」pp.126-129/kotoba執筆陣&編集部が選ぶ より深く特集を読みたい人のための書籍ガイド、文=小泉まみ、荒舩良孝「瀬名秀明さんのおすすめ」p.137
【選評】ミステリーズ!/vol.65(2014.6.13)/第五回創元SF短編賞受賞作決定/「選評」pp.297-299
【書評】週刊朝日/2014.6.27号/週刊図書館crossover「サイエンス」/「SFの歓びが詰まった傑作選」p.85


【インタビュー再録】SFマガジン/2014.7/SF MAGAZINE ARCHIVE/インタビュアー=大森望「490 1997.4 SFインターセクション 第4回・瀬名秀明 大森望」pp.411-415
【鼎談】SFマガジン/2014.7/東浩紀×大森望×瀬名秀明「トークイベント完全採録 SFと復興 小松左京から考える」pp.562-580
【対談】ロボコンマガジン/2014.7(No.94)/【特集1】ここまで来ている!人間の能力を拡張するBMIとロボットの世界/取材・文=井上猛雄、写真=其田益成、瀬名秀明×池澤春菜「特別対談 ボクとBMIとゴキブリをめぐる大冒険」pp.10-12

MAGI9 PLAYLAND

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 しかし14曲目の「ALGORITHM+LOVE」は、無粋な理系の彼氏に、
「そこは〝ユーグリッド〟じゃない! YOU GRIDではなく〝ユークリッド(Euclid)〟!!」
 と、突っ込みを入れさせてしまうような女子の歌なのだと思って聴いている。
 だがまあ、聴いているとむず痒いので、ライブでは〝ユークリッド〟にしてほしいものである……。

#私も〝メルツェルのチェスプレイヤー〟を間違えて〝メンツェルのチェスプレイヤー〟というタイトルをつけてしまった過去があるので、大きなことはいえない。
 校正・校閲の方々も、見えないときは見えないものなんだよねえ。

〈オッド・トーマス〉シリーズ最終巻

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 ディーン・クーンツの新刊『The City』が届いた。また積ん読になってしまうなあ。最近クーンツは、長編一冊出す度に、それに関連する中編を電子書籍でオリジナル発売するのがパターン。それでしばらくして、ペーパーバックの巻末に入るのであった。中編の方も時間がなくて、あまり読んでない。クーンツは中編がうまいので、ほんとはちゃんとリアルタイムでついていきたいのだけれど。
 おお、そうだ、〈オッド・トーマス〉シリーズ最終巻のアナウンスがもう出ているのであった。タイトルは予想通り『Saint Odd』。いよいよ年末発売かあ。感慨深い。
 なんだかそのときまでに自分の人生がどうなっているかさえわからないが、オッドくんと幸せに年を越せるといいな。
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